その1・・・きっかけ

きっかけは1通のメールでした。

「お詫び」

と題したそのメールは、E-townの社長からのものでした。ここは、たった今まで僕のビジネスパートナーだと思っていたお店だったのです。僕には何の相談もなく、閉店するとメールで伝えてきたものだったのです。

僕は当時そこそこ名を知られていた英会話喫茶である、E-townさんに英会話の1日コースの場所を提供してもらっていて、2回ともそれなりに上手く行っていたし、パーティーなんかも共同主催でやらせてもらっていました。将来的に協力関係を築けたらいいなあと思いつつ期待を持ってお付き合いをしていた矢先でした。

どうやら経営は楽ではないと聞いていたけれども、英会話喫茶(当時はそう呼ばれていた)の業態は上手くやればその内来るのでは、と思ったりしていました。しかし、まさか突然閉店とはビックリでした。

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- 事の成り行きを知らない方々の為にちょっとだけ説明をします。E-townと言うのは「英会話喫茶」で、英会話喫茶とは、外人と気軽にコーヒー飲みながら時間制で話が出来る喫茶店です。とっても安く、1時間1000円とかなのです。その存在を知っていろいろ調べて、そこへ僕が合宿の宣伝をしてくれとビラを持ち込んだのがそもそもの始まりで、協力的に場所を提供して頂いたりしていました。当時僕は自分の英語の勉強も兼ねて、英会話合宿を企画していたのです。そのお客さんを集めるのに奔走していたのでした。-

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その頃僕もこれからの生き方をいい加減決めねばならない時期でした。声帯萎縮と言う変な病気に掛かって以来、なんと僕は1年半もまともな仕事をしていない状態が続いていたのです。病気は手術をして半年ほどで治ったのですが、仕事に戻れるはずもなく、外資系の会社に入るために不十分である英会話の勉強を考え、英会話合宿なる企画を立ち上げたのです。その頃は「English G Circle」と言うクラブみたいなものでした。英会話合宿と飲み会、一日勉強会とパーティーなど。今思うと、意外にも多くの方々に参加してもらっていました。

また同時に某学校でマネジメントの勉強しながら、何とかギリギリ食いつないでいたのですが、そこも卒業が目の前に見えていました。自分の進路をこの年になって(当時確か37歳だったでしょうか)決めねばなりません。
そこに入る時、僕は初めから起業志望でした。しかし、本来の意味での計画や準備が無いまま時期が来てしまったのです。

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そこヘ来て「お詫び」のメールでした。
英語自体を扱う仕事をするなどとは、夢にも思って居なかったのですが、僕はその時、突如目覚めました。

「よし!E-townを引き継ごう。そうすれば初期投資が少なくて済む」

との短絡的な考えから、E-townの社長に電話して、話をする機会を貰いました。その時は単純にE-townにあるテーブルとかレジとか、椅子とか全部処分するなら、僕がそのまま引き継げばもったいなくない、とか考えていました。
実際問題オーナーが変わるとオフィスの敷金礼金みたいなのは全部精算し直しになるらしいので、引き続き同業種でやるからと言って、計算して見るとそれ程得にもならないみたいでした。

さらにE-townの社長と話をして見ると、赤裸々な最近の赤字の話と(良い時代もあったらしい)、家賃がビックリするくらい高く(調べた結果、秋葉原近辺の相場は坪14000円で、E-townは22坪あった+共役費)、33万円。そこで小さく挫折しました。
それでも負けじと「それは僕が大家さんと話を付ける」とは言ったものの、家賃が半分になるわけも無く、更に事務所の契約だと当時は保証金が10ヶ月とか取られる訳です。つまり、まあ初めに300万とか。あえなく短時間で玉砕しました。
ちなみに何故閉店を決めたかと言えば、奥さんに子どもが出来たからだとの事でした。ちゃんとした固定給のある仕事を選んだのです。
僕は一度離婚していて、現在は守るべきものが無いので、こんなに身軽に物事を考えられるのだと知りました。

しかし、その事で火が付いてしまった僕の「よしやるぞ!」の熱は冷めるはずもなく、別の場所でやったらどうかと、そろばんを弾きつついろいろ調べました。家賃が幾らで、場所がどのような所で、どんな人達が来てくれて、どうやってやるかについていろいろと考えました。

つまり英会話喫茶での創業を思い立ったのです。

 

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そして身近な繁華街というか、適当な場所は間違いなく横浜駅です。
まず物件を探そうと思いました。
あ、ちなみに、その時僕一人で始めようとしていた訳ではありません。初めは期待のみしてましたが、後で話すとE-townで働いていたAさんが協力してくれると言う事になったのです。E-townと共同でイベントをやっているうちに仲よくなったのです。Aさんはアメリカの大学を出ていて英語も出来るので、適任でした。

色々話をしているとかなり考えで一致している事もあって、Aさんが遠いけれど横浜でも来てくれると言うのでまずは具体的な物件を探しました。
もちろん、あまり採算の合わない通常の英会話喫茶とは若干違う形での営業を考えていました。さらに1日コースで講師をやってくれたアメリカ人のMや僕の知り合いの下北でHip-hopウエアの店をやっているガーナ人のSも店ができたら是非手伝いに行きたいと言ってくれて、人がそろって、あとは良い物件が見つかればと言う感じでした。そもそも英会話合宿などをやっていたので、外国人の知り合いは何人もいました。

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横浜駅近くで良い物件はないかな・・・。
それがあったのです。あっさりと。これだ!っての。(もちろん幾つかの物件は見ましたが、駅からの遠さと建物の汚さでパスでした)。
その物件は、横浜駅から歩いて90秒(超駅近)、16坪でなんと家賃15万。しかも24時間使えるのです。
周囲は人通りが無く静か。
・・・この周囲が人通りが無く静かってとこが安い原因でしょう。

でも夜中にガンガン音出して、ライブパーティーとかやりたい僕には好都合。もちろん近所に民家なんてありません。事務所は8時くらいで無人になる。目の前は首都高速。つまり、もともとうるさい場所なのです。
こんな風にたった1個所、横浜駅近辺でほとんど人通りがない地域があったのです。他ではどう探してもこんな寂しい場所は横浜駅近辺にはないでしょう。まともに考えたら、これを良いと言えるかどうか分かりませんが、その時に僕は絶好の良い物件だと思いました。とにかく西口の同じ距離の物件の半分くらいの家賃です。

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  そもそも英会話コミュニティサロン(当時の僕の構想は英会話喫茶ではなく、そう言うものだった)とは、そもそも通り掛かりの人がふらっと入るような場所ではありません。まず99%が宣伝か何かの情報を元にわざわざ尋ねて来る場所です。
だから人通りはあまり関係無いのです。ブティックや飲食店ではないのです。
ビルを見上げながら考えました。
その物件は道に面した2階なので、窓に宣伝の看板を出せたりして、中の様子も何となく見える、より安心して来て頂けるのではないかと思しき物なのでした。ビルは少々古いものの、部屋の内装は始めから大々的に改装する積りなので、あまり関係ない気がしました。ビルの外から明るい2階の窓越しに楽しそうな様子が見えるのです。その様子を僕は想像しました。

「やったぁ!これは行けるぜ!!!」

店が成功するイメージが湧き、それを確信しました。
僕はそう思うと、すぐに帰って事業計画をまとめ始めました。その頃また創業起業セミナーに通っていまして、今考えると全てが同時進行だった様です。

ちなみに読んでいる方の為になるかどうか分かりませんが、当時の秋葉原の駅昭和口方面近辺の相場は2003年当時は坪12000円から14000円、横浜駅西口の近辺では坪20000円(東口でもそごうとかスカイビルだと)、歩いて5分圏内(実際には7,8分かかる)だと坪10000円くらいです。
普通の駅ビルのブティックみたいなお店を想像してもらうと、坪20000円で多分12,3坪はあると思います。そうすると横浜駅西口近辺だと家賃は25~30万はしてる訳ですね。家賃だけで1日1万くらい。更に人件費、光熱費、仕入れとか考えると、最低1日の売上は純利益30%として10万円(純利3万円)は無きゃ話にならないのですよ。横っちょに並んでいる小さなお店が毎日10万円以上も物を売るってすごいなと思います。

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そんな事を考えつつも、僕の取らぬ狸の皮算用計画では毎月会社は20万円の黒字。上手く行けば1年か1年半後に支店第1号を出店。3年後にはなんと約10店舗が首都圏に広がり、関西にもその手を伸ばすと言うまたしても壮大な計画だけが一人歩きしていました。
行く末は茅ヶ崎か鎌倉あたり(横浜に通うのにはその辺が適当)の海辺に3階建ての豪邸を構え、2階の屋上には満天の星空を望む露天風呂。海辺が近いのでビーチに遊びにも行けるし、昼間は露天風呂はプールと化して遊びましょう、みたいな家を作って「週末英会話合宿」をそこでやるのだ!とまあ、どんどん夢は膨らみました。
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