その13・・・残されたカード

「カード はすべて切られた」
そんな言葉が思い出されました。今までに味わった挫折感の中で一番重かったと思います。(もう、酒飲んじまおうか。どうせ目標も無くなったし)とも思いました。
最後の手段として考えていた行政書士の事務所に書類申請を頼む線はほぼ消えました。三井住友銀行が横浜市の信用保証協会付きの融資を行っているのですが、その横浜市の信用保証協会(信用保証協会とは、本来の融資の保証人に代わりになってくれる制度で、自治体が行っている協会。それには審査が必要で、また保証料として、0.9%の金利上乗せを支払う必要がある)では、物件の契約を必須条件としていて、現在契約予定になっている物件を契約した後に融資が通らなかった場合、家賃などの支払いで、120万円のリスクを背負う事になるのでした。それでも、もし行政書士の先生が8割方うまくやれると判断してくれたら踏み切る積りでした。しかし、相談した結果は残念ながら横浜市の信用保証協会に関する経験はなく、120万円のリスクに対しては薦めることは出来ないというものでした。
恐らく堅いと思っていた国民金融公庫からは電話連絡があり、
「今の状態ではすこし厳しいです。出来ましたら第3者の保証人を付けるか、担保提供をすることは出来ないでしょうか」
と言われました。国民金融公庫では、貯蓄の資金の出所を証明する資料を揃える必要があり、僕の資金調達内容はバレバレだったのです。それでも融資基準には即していたので、何とかなるだろうと思っていました。
しかし、ある時追加の必要書類を届けたとき、担当の方から、「以前個人で申し込まれた時のように・・・」と言われ、「ハッ」としました。担当者は以前の状況も把握していたのです。そうすると大変不利な気がしました。
そして案の定、とでも言いますか、恐れていた電話がなりました。

第3者 の保証人。親族以外のものです。僕自身が他人の借金の保証人になる事はすまいと思っている手前、他人に保証人を頼む事ははばかられました。保証人を要求する一つの要因に、その債務者の人間としての信頼度の厚さを測るものだと言う事もあるそうです。たかが300万程度の借金を払えないはずはないのですが、それを他人が保証すると言う事はその人が信頼に厚いと言う事です。義理の弟を一瞬考えましたが、OKしてくれるかどうか以前に、やはり頼めません。
第3者保証ではなく親族である場合、担保付いてきます。父が僕の保証人になること、家を担保にすることは一度は諦めました。なけなしの家を担保にする事は無理だと。しかし、土下座してもしOKしてくれるならそうしたい気分でした。
営業マンになったばかりの頃、上司に言われたことを思い出しました。
「松下の営業マンはな、三遍回ってワンって言ったら買ってやる、って言われたらやるんだよ!」
社内でも評判の出世頭の上司でした。
その後は何て言ったか覚えてないですが、当時ライバルだった松下電器の営業を例に出して、それが出来る奴が偉いんだって事だったと思います。当時僕はその言葉に対して猛反発をしました。きっと今、親父が僕に「3遍回ってワンって言ったら保証人になってやる」と言ったら、きっとやるでしょう。ある意味、上司の言っていたことは、自分をそこまで捨ててでも目標を達成すると言う「本気」なのかも知れません。

僕が準備した資料、説明、失語症の父親にも解かるようにと図面なども入れて準備したすべては無駄でした。父はほんの3分ほど、僕がお願いした結果話を聞いてくれて、そして途中席を立ちました。
僕はトイレに行ったのだと思って待っていましたが、10分経っても帰ってこず、様子を見に行くと、風呂に入っていました。 父親ながら、こんな僕を馬鹿にした行為に大変腹が立ちましたが、怒ったらすべてが終わります。3回の機会を持とうと考えました。1回目が失敗です。
いろいろ話している友人からも、親御さんには迷惑を掛けないようにして、と言われていたりしました。でも僕の中では、僕が17歳のときから親父が病気になり、1級身体障害者になってからは、ある意味自分が家族を支えて来たと言う自負があったり、生んでもらった、育ててもらったことに対するありがたさは思っていても、それに今まで十分答えてきたと思っていて、今僕の為に親が自分の人生を共にするような協力をしてくれてもいいのではないか、と言う考えがありました。学校の学費や家のローンも自分で払ってきた、食費も高校の頃から入れている。・・・しかしそれはもう過ぎた事に過ぎないのですね。今両親は自分の老後が心配なのです。
何度かのトライは敢え無く予想通りの玉砕でした。「就職」なんてここ1年ほとんど考えなかった、いや、考えまいとしていた事がほんの瞬間浮かびました。

「カードは すべて切られた」
他に何が残っているのか。資金調達が無理だったら、今持っているお金で出来ることを考えざるを得ません。ホームページ上では常に強気で、もうすぐオープンなんて書いてます。さらに当然、オープン予定にあわせてネイティブ講師やテーブルホストも募集していて、何人か集まってきています。
「10日後に結果を連絡するよ」
彼らは、新しい仕事を得られるかどうか待っているのです。皆僕の計画の説明を聞いて、それはナイスアイデアだ、是非協力したい、と言います。中にはNOVAを辞めてまでこちらへ来ると言っている講師もいました。
本来もうどうしようもない所に追い詰められているにも関わらず、僕は「多分今回もなんとか乗り越えることが出来る」という楽天的な考えが心の隅でありました。焦りはほんの2日ほどでした。これを成長したと言えるかどうかは分かりません。現実問題、どうし様もなくなっているのです。
しかし皆さんは覚えているでしょうか?まだ切っていない、残されたカードが1枚だけあったのです。

⇒その14に続く